・ロンドンの社交界は、約1,500家族、述べ一万の人々で構成されていた。
・貴族の令嬢が17か18歳になって、生まれて初めてロンドン社交界に参加する時、手始めに女王や王、皇太子夫妻から拝謁を賜ることができれば、まず上々の滑り出しと言えた。
・貴族には「ノーブレス・オブリージュ(高貴なる者の責務)」が課せられる。
・貴族、爵位の継承は最も近い血筋の年長の男子が行うこと。養子に迎えて爵位や領地を継承させることは許されない。息子は父親が亡くなるまで、(法的には)爵位を持たない。
・カントリーハウスとは、主にエリザベス朝末期の1590年代から、ヴィクトリア朝初期の19世紀半ばにかけて、主として貴族の称号を持つ大地主たちが、自らの権勢を誇示するために、広大な領地に立てた壮健な邸宅のことである。
・小規模なカントリーハウスで、敷地面積200万平方メートル(領地はその30倍)。総床面積2,500メートル。
・貴族は、1万エーカー以上の土地を所有しているのが普通だった。東京都の大田区や練馬区の広さに当たる。年収は1エーカーあたり1ポンド。
・アプローチ:村の広場に面して、錬鉄の門とその両側に一つずつ古典様式の門番の家があり、その先に並木道が続き、さらにいくつかの門があり、広々とした牧草地がある。道を曲がると突然、巨大な館が視界に現れた。
・玄関ホール:天井の重苦しい装飾は、典型的なジェイムズ王朝様式のものである。高さ20メートル、長さ23メートル、幅10メートル。純銀のワインクーラーは70キロの重さがある。
・階段:胡桃の木の螺旋階段。欄干はマホガニー材。松材の壁板には、花、果物などの彫刻が施されている。盛装した紳士淑女のペアが、戸口に立つ案内係に名を呼び上げられると、豪華な意匠や貴金属・宝石を誇らしげにきらめかせて、ホストが迎える会場に上っていく。
・広間(サルーン):多くの客を招いての宴会や舞踏会の間として使用された。
・書斎:すべての壁面を書架で埋めつくしたライブラリーが設けられるようになった。
・服装:サテンやレースにひだ飾りがついたドレスをまとって、いかにも高価そうな宝石を身に着けている。女性は帽子を必ず被っていた。キャップは室内でも被ることができたが、ボンネットは必ず戸外でかぶるものだった。
・一日はまず朝食からはじまるのが通例だ。女性は10時半頃になって降りてくることになっていたらしい。
・「有閑階級」の男性はジェントルマン。女性はレディである事が求められた。労働をして報酬を得れば、原則としてジェントルマンの地位を失うとされていた。弁護士、医師、将校、官僚などは「ジェントルマン的職業」として許された。